9区 朝日嗣也
最終学年にして初めての箱根路を経験し、見事の渡辺康幸監督(平8人卒)の期待に応える快走を魅せた朝日嗣也(教4)。4年分の想いが詰まった20数キロという道程がもたらした変化、それは今後の実業団での活躍への大きな財産となることは間違いないだろう。その胸中からあふれ出る言葉の数々は。
※この取材は1月24日に行ったものです
―最初で最後なった箱根駅伝を走り終えたときのお気持ちはどうでしたか
あんまり覚えていないですけれど、きつかったことと何とかして前に進もうということしか考えていなかったです。
―ご自身で自分のレースを冷静に振り返ることができたのはいつ頃でしたか
3日後ぐらいですかね。卒論が終わったのが箱根を走り終えて3日後ぐらいだったので、その後です。走り終わった直後は胸にぽっかり穴があいたような感覚で「何をすればいいんだろう?」と、ぼーっとしていました。三戸(格=政経4)たちとは1月4日も一緒にゆっくり走ったのですけれど足が疲れてガクガクで全然走れなかったです。あんなにきついものだとは思っていませんでした。
―普段の練習で20数キロ走るのとは違いましたか
ハーフマラソンは走ったことがあるので何とかなると思ったのですけれど…。やっぱり最初に飛ばしたのがいけなかったのですかね。そんなに飛ばしたつもりはなかったのですけれど。15キロの通過までは区間1位のタイムだったんです。これは自慢なんですけど(笑)。そこからごぼう抜かれで5人に抜かれてしまって…。
―飛ばしすぎているっていう意識はなかったのですか
無かったですね。(前を走っている)相手が遅いのかと思って。
―渡辺監督から飛ばしすぎを指摘されるようなことはなかったのですか
いやもう「行け行け!」って言われました。「調子いいよー」とか「今日のヒーローはお前だ!」とか(笑)。そこでちょっと調子に乗ってしまったところはあるかもしれないですね。まだ3,4キロだったので。
―走る前はどんなレース展開になると思っていましたか
絶対に前(の走者)がやってくれると思っていたので追う展開は考えていなかったです。
―逃げる展開だろうとイメージしていたわけですが
追うのも逃げるのとそんなに変わらずに、もとから行こうとしていたペースで行ったつもりだったんです。だから飛ばしているつもりはなかったです。結果的に飛ばしてしまったんですかね…。ちょっと身体が軽いかなーと思って、軽すぎるくらいの感じもあって。
―それでは調子は
良かったですね。最後の練習が2回だけ調子良くて。それでたぶん(メンバーに)拾われたって感じです。
―逆にそれまでは
それまでは蘆塚(泰=商4)とか(斉藤)太一(スポ4)の方が良かったですね、正直。三戸はずっと良かったんですけど。だから区間エントリーもされたんですけど。僕は使われるかどうかわかってなかったので。本当に当て馬はあまりなかったですよ。
―その頃はダメかもしれないと
ちょっと思いましたね。励まされたりしましたし。「最後まで諦めるなよ!」って。この子(この日隣で三輪選手(真之=人4)の取材をさせて頂きました。その三輪選手を指さして)にはいつもそうなんですよね。今から振り返ると確かにちょっと腐った時もありましたけど、いい意味で開き直れたというか。「やるしかない」と思って。もし走れなかったら走れなかったで、最後の箱根駅伝をみんなで優勝すればいいやって。そうやって自分を抑えていたというか、いい意味でごまかしていたのかもしれないです。
―9区を走ると言われたのは前日ですか
前日です。でも二日前ぐらいに「7区か9区を行く準備だけはしておけ」とだけは言われていて。それで7区だとばかり考えていて。まさか高原(聖典=人3)が走れなくなるとは思ってなくて。
―高原選手は調子を崩してしまったのですか
崩してしまったんです。信じられなかったのですけれど。部員のみんなもびっくりでした。観ている方もびっくりしたと思うのですけど、内部でもびっくりしました。本人は監督さんとトレーナーさんにしか足の変な張りがあるということを言っていなかったので。練習はたまに離れたりもしたんですけど元気そうだったので走ってくれるだろうと思っていました。